IT’S A GOOD DAY TO DIE…

相変わらず”死”について色々と考えてる。
ちょっと暗い!?
でも気にしませんっ♪

そこで一つの結論。
「天国」と「地獄」は「犯罪若しくは倫理的或いは道徳的に問題のある行動」への宗教的な「抑止力」だったのだと。

ただ、その基準は曖昧だ。
複雑な価値観が絡み合う多様性に富んだ現代文明社会において、殆どの人間は絶対的な善のままではいられない。

普通何気なく買う珈琲やチョコレート。
コーヒー豆やカカオの栽培、収穫のための労働力として原産国のアフリカや南米の国々では奴隷の様に子供達が普通に売買されてたりする。

知らないとは言え、そんなモノを普通に食べたり飲んだりしている人達はどう考えたって地獄行き確定だ。

でも、そこまで言及されることは殆どないと思う。
他にも言いたいコトはあるけれど、長くなるし本筋からズレて行くので割愛。

ある時、ふと目にした言葉がある。
心に沁み込む。
涙が出そうになる。

今日は死ぬのにもってこいの日だ。
生きているものすべてがわたしと呼吸を合わせている。
すべての声がわたしの中で合唱している。
すべての美がわたしの目の中で休もうとしてやってきた。
あらゆる悪い考えはわたしから立ち去っていった。
今日は死ぬのにもってこいの日だ。
わたしの土地はわたしを静かに取り巻いている。
わたしの畑はもう耕されることはない。
わたしの家は笑いに満ちている。
子どもたちはうちに帰ってきた。
そう、今日は死ぬのにもってこいの日だ。

そう。
「天国」とか「地獄」とか関係ない。
「死」は恐れるものではない。
親愛なる人々との永久の別れは寂しく、悲しいけれど。
僕達は死んだら自然の一部として大地に帰るのだ。
なんてスッキリ。

白人達に侵略され、西洋文明の大波に晒され、居留地に押し込まれ、蔑まれ、迫害を受けながらも、自分達の文化や伝統、信仰に対する誇りを胸に自然と共に生きてきたネイティブ・アメリカン。
彼らの言葉が心に響くのは、元来日本人も彼らと同じ様に形は違えど自然を敬い、共に暮らしてきたからかもしれない。

複雑やね…

黙っているからといって、何も言いたいことが無いとは限らない…

涙を流していないからといって、悲しくないとは限らない…

笑顔でいるからといって、楽しいとは限らない…

落ち込んでいないからといって、傷ついていないとは限らない…

いつもと変わらないからといって、いつもと同じとは限らない…

今ココにいると言うこと…

時折、突発的に生きるのが面倒臭くなる。
バチあたりだけど、しょうがない。
別に自殺願望が鎌首を擡げるわけではない。
単に面倒臭くなる。
誰に告げることなく、見知らぬ土地へ流れて行きたい衝動に駆られることがある。

人は正負入り混じった様々な引力に引かれ、今現在ココに留まっている。
その引力を容易く切り裂く刃がある。
失望、絶望、自己嫌悪…

衝動に駆られるけれど、でも僕はまだココにいる。
それが大事。

The First Impact…

彼女とは同じ職場だけれど、今まで顔を合わせたことが無かった。

ある日、所用の為に立ち寄ったある部署で彼女に初めて会った。
彼女も用事があってその部署に来たようだった。
初めて話した。

“一目惚れ”なんて甘いモノじゃない。
彼女の笑顔に脳天を撃ち抜かれた。

色々と頑張ってみたけれど、彼女の病気、彼女の身内の不幸、僕の退職、彼女の退職等々が重なり、何度か約束は取り付けるものの一度も食事すら行くことは無かった。

彼女が僕のことをどう思っていたかはさっぱりわからん。
他愛無い用件で稀に連絡が来たりするし、連絡したりもする。

脳天を撃ち抜かれてから7~8年。
ここまで縁が無ければ、この先どうかなるとも思えない。
でも、あの脳天を撃ち抜かれた衝撃だけは忘れられない。

彼女の笑顔は最高だった。